『いよいよ残り1ヵ月。君たちの人生のすべてを決める1ヵ月です。どこの大学に行くかで人生のすべてが決まります。
くれぐれも誤解してほしくないのですが、偏差値の高い大学に行くからいい人生になるとか、それが低い大学に行くから悪い人生になるとか、そういう意味ではありません。
どの大学に入るかによって、会う人間が変わってきます。それに伴って、考えの基準が変わります。高いレベルの大学に行くと、すごく勉強をしていてもそれが当たり前だという人たちがたくさんいて、自分もそれに引っ張られます。つまり『感覚のインフレ』が起きるんです。逆に下の方に行くと、ちょっとしかやっていないのに俺はすごいことをやっていると錯覚をしている人が多く、自分もそれに染まってしまいます。もっとも、勉強面以外では優れた人もいて、どちらがよいという話ではありませんが、少なくとも今述べたようなことが起きます。
このように、自分の中の基準というものが大学という場所で作られる可能性が極めて高いんです。そして、その基準で一生生きていくことになるので、そういう意味でどの大学に行くかということは君たちの人生のすべてを決めることになるんです』
そして僕は、黒板に次のページのようなチャートを書いて、こう続けます。
『じゃあその大学に対して、行きたいという思いがあって、あとひと月。頑張ってできるだけのことを、もうやり残したことがないというくらいやったか。まず、これで〇か×かに分かれる。そしてその結果、受かったかどうかでもう1つ〇か✕かに分かれます。
完璧に力を出し切って合格した(①。これはいい。
完璧に力を出し切った、しかし落ちた (②。これはなんで落ちたかというと、このひと月の過ごし方は間違っていなかったけれども受かるまでの準備が足りなかった。これも別に問題ない。
問題なのは、このひと月踏ん張りがきかなかったな、と思いつつも受かってしまった(③。これはまずいんです。つまり、俺はここが勝負だと思いつつ、たったひと月も踏ん張れない人間だという思いを抱えてこれから生きていくことになりますから。
だったらむしろ、ひと月頑張れないで落ちた方がいい (④。そこでもう1回出直して、今度はひと月頑張れたとう自信を持って大学に行けばいいんです。
そして、こういう経験を通じて得たものを10代のうちに自分の内部の財産にしておけば、それが生きていくうえで大きな力を与えてくれることになります。
このひと月は、それが試されるひと月です。ただ、やるかやらないかは、もちろん自由ですが』
と。でも、この話で本当に伝えたいことは、『ひと月頑張れるということは実はすごいことで、ひと月頑張れる人は1年頑張れる。1年頑張れる人は、それを積み重ねて10年頑張れる。10年頑張れる人は結局、一生頑張れる』ということ。
ひと月ならば俺は頑張れるぞ、いけるぞという自信を持つことは、結局、一生俺は頑張れるぞ、いけるぞという自の基礎になるんです。それを持てるかどうかのチャンスがこのひと月の頑張りにあるし、それが実は大変な差を生むんだよ、というふうに生徒を励ましているんです。

引用文献『受験必要論人生の基礎は受験で作り得る』(林修著集英社文庫)
この話は校舎の中にも掲示してあるのでぜひ読んでみて下さい!!
最後の一か月です。全力で頑張りましょう!!!